吸血鬼ミル4〜堕天使と少女〜


 私はミル、17歳。西欧に暮らす、少女。
 一見すると普通の、色白の少女にしか見えない。だが、私には秘密があった。
 今、私が着ている白いコート。そしてその下のシャツ。それらを脱ぐと現れる、黒く美しい翼。美しいからこそ、汚らわしい翼。この翼は、吸血鬼のものだ。そして私は実際に吸血鬼である。でも、特殊な吸血鬼であるため、今まで血を吸ったことがない。だからこそ、危険な吸血鬼。
 でも、分かった上で旅をしている。こんな私でも受け入れてくれる場所を探すために。
 ちなみに、隣のゴールデンレトリバーはビス。これもまた特殊な犬だ。
 人語を理解する犬はいるだろうが、ビスは人語を操る。そして、彼の秘密はそれだけではない。
 彼は、異端審問官だ。吸血鬼や魔女を断罪する存在。とある縁で、吸血鬼の私と行動をしている。
 そんな特殊な私達は、今日も一緒に旅をする。
 行き先の分からない、終わりも分からない、旅を。



「〜〜♪」
「えらくご機嫌だな」
「だってさ、会えるんだよ、エリティオさんに♪」
前の教会から旅立って4日。エリティオさんはあの時、5日後に私の今いる教会へ寄るといっていた。なら、明日会える。
 今は、昨日からお世話になっている教会のお手伝いで買出しに出かけている。
「全く、あんな酷い目に遭わされたというのに」
「それとこれとは別。だって、認めてくれたもん」
エリティオさんは、巡回神父をしている。が、それは半分嘘なのだそうだ。
 その半分の正体。それは、魔術師。空間を弄る魔術を得意とするらしい。それは、前の教会を出る数日前に身をもって知らされた。突然の訓練という名の奇襲によって。
「それに、あやつは……」
「だから、いいってば」
そう、それだけではない。彼は、過去の出来事によって吸血鬼を酷く恨んでいた。そして私も吸血鬼なわけだが。それでも嬉しいのは、先程言ったように認めてくれたから。吸血鬼でありながら、恨むべき存在ではないと。
「だから、大丈夫だよ。
 それにカッコイイし♪」
「……なんていうか、あれだな。親父好きか?」
「ん?なんていった?もう一度言ってみて」
うん、ちょっとカチンと来た。親父好きではないし、エリティオさんが親父って。
 ああ、なんか頬と眉間がピクピクいってるのが自覚できる。
「……いや、聞き間違いだろ」
「ふ〜んそうですか〜ならいいんですけどね〜」
「ミル……、棒読み……」
ビスが怯えている。そんなに怖かったかな?
「……ん?」
なんか視線を感じて後ろを振り返る。が。
「どうした?」
「いや、誰かに見られてる気がしたんだけど……」
「ああ、それは――」
当たり前だとでも言いたげな顔だ。
「――これだけ人が多ければ1人2人くらい見ていても不思議ではなかろう」
確かに。
 実はここ、かなり大きな街で、行き交う人で溢れている。それはもう、恐ろしいくらいに。
 周りを見ても、人人人。誰かに見られていても不思議じゃないか。
「でも、ちょっと雰囲気が……」
「気にするな。どうせロリコンの中年親父か何かだろう」
「……死にたいの?」



「ただいま帰りました」
「お帰りなさい、ミルさん、ビスさん」
シスターの1人が出迎えてくれた。
「とりあえず頼まれたものは全部そろえました。
 何でもあるってちょっといいですね」
「だがそれが人を怠けさせる。それは忘れるな」
「いいじゃん、時代は変わっていくんだから」
「いいえ、ミルさん。ビスさんの言う通りですよ。
 便利なのに慣れてしまうと、人間は知らず知らずのうちに怠けてしまいます」
シスターに言われたら、それはそうかも、と思えた。
「おい、失礼だな」
「だって……あれ?」
 シスター達との会話に集中していて気付かなかった。
 小さな、10歳くらいの女の子が、いた。
 ショートヘアで、左の揉み上げは三つ編にされている。青みがかった大きな瞳が可愛らしい。シャツは鎖骨が露出していて、腕にフリルが付いている。穿いているズボンはハーフパンツと呼ぶには長すぎ、長ズボンと呼ぶには短すぎる。こちらにも裾にフリルが付いている。
 そんな女の子が、私の方を向いている。というか、見てる。物凄く、私を見てる。
「……あー、えーっと、どうしたのかな?」
「……(じぃーーっ)」
うん、なんか凄い見られてるよ、私。
「……天使?」
「え?」
どうしたんだろ、この子。
「おねえちゃん、天使?悪魔?」
「あの、何を……」
「ううん、なんでもない、気にしないでね」
女の子はそう言い放つと、駆け足で教会の外へ去っていった。
「……何?」
「えっと、なんでしょうか?」
「我もさっぱりだ」
シスターとビスも状況が飲み込めなかったらしい。でも。
「一つだけ、私、分かったことがあるよ」
「なんだ?」
「あのね……あの子が妹だったら私、悶え死んじゃうかも」
うん、とても可愛かった。
「あのな……」
「そういえばあの子……」
ビスを無視する。
「私にいきなり『天使?』て言ってきたけど、あれはどういう意味?」
「さあな。本人にしか分からんだろう」
「そっか」
よりにもよって私を天使だなんて。そのあと『悪魔?』って聞かれた気もするけど、気のせいだろう。
「……翼が見えてた、なんて事、ないよね?」
「大丈夫だ、見えてない」
「じゃあ、なんだろ?シスターさんは何か心当たりみたいなの、ありませんか?」
「心当たり、というわけじゃないですが、あの子、最近よくここに来るんです。
 天使でも待っているのですかね?」
「天使、かぁ……」
最後にあの街で優しくしてくれたシスター、名前は……確かルカさん。彼女は、そういえば天使みたいな人だった。
「どうした?」
「ん?なんでもない。昔のことを思い出していただけ」
「本当か?」
「この程度のことで疑われても困るし」
嘘をつく意味も無いしね。
「さてと、何か他に手伝うことありますか?」
「お、偉い偉い。最近の若者にしては良い心掛けです」
「そ、そうですか?」
シスターに頭を撫でられる。なんか久し振りにビス以外に馬鹿にされたような。
「ん〜、でも、手伝ってもらわなければいけないことは特にありませんね〜。
 お部屋に戻ってゆっくりして下さっても結構ですし、個人的な買い物があればどうぞ」
「えっと、買うものは特にないから……じゃあ、部屋で休ませてもらいますね」
「どうぞ」
 お言葉に甘えて、借りている教会の一室へ戻る。
 早速、ベットへダイビング!
「ふ〜、気持ち良いっ!」
「靴ぐらい脱げ」
「いいじゃん、ちょっとくらい」
「汚れるだろ」
「全く、わかったよ〜」
 仕方なく靴を脱ぎ、ついでにコートも脱いで部屋の隅のクローゼットにかける。
「……でも、暇だな〜」
「散歩でもすればいいじゃないか」
「え〜。だって、外出たばかりだし」
靴も脱いだし。
「なら大人しく寝ていれば良いだろう」
「それも良いけど、寝る気にならない」
「そうは見えなかったが」
「いちいち煩い」
ビシッとビスの口元を指差す。
「じゃあ何もするな」
「……やることないってのも、辛いなぁ……」
 今、ここにエリティオさんがいたら、色々と話なんかも出来るのに。
 ………………。
 …………。
 ……。
「あ゛〜、もうっ、暇ぁ〜〜〜」
「煩い奴だ」
 仕方ない、シャワーでも借りるかな、と思いながら、部屋の戸を開け、
「やぁ、ミルちゃん」
ようとしたら、何故か勝手に開いた。
「……あれ?」
「む?」
私とビスは、ほんの少しの間呆然としていた。
「……エリティオさん?」
間違えるはずはない。確かに目の前にいるのはエリティオさんだけど……。
「一日、早くないですか?」
「一日早いな」
私とビスが、ほぼ同時に発言。というか、あれ?デジャヴ?
「前あった時も、一日早かったそうじゃないか」
あ、それだ。
「いや、思ったより用事が早く済んでな」
「相変わらずいい加減な男だな」
「お前に言われたくはなかったよ」
ビスじゃないけど、確かに少しいい加減なような。
「でも、また会えて嬉しいです!」
「お、嬉しい事言ってくれるなぁ。さすが、ミルちゃん。誰かさんとは大違いだ」
「悪かったな」
あからさまにいやそうな顔をする。犬のくせに人間みたいだ。そんなことはどうでもいいとして。
 一日早くエリティオさんに会えて嬉しいなっ!
「ところでミルちゃん、これから何か予定でも?」
「え?いえ、特に何も」
「なら、俺も暇だから良かったら一緒に何処か出かけない?」
エリティオさんとお出かけか……。……ん〜。
「変な訓練とかじゃないですよね?」
あれにはかなり酷い目に合わされたからなぁ。もう、勘弁。
「いやいや、普通に散歩でもしようかなと思っただけだよ」
苦笑するエリティオさん。まぁ、信じていいかな。
「じゃぁ、散歩でも行きましょうか。私もちょうど行こうかなと思っていたところですし」
「……嘘を吐くでなうをっ!!」
煩いからナイフを投げて黙らせてやった。
「冗談きついぞ、ミル!」
「何の事?」
「……もういい。
 それより、我も連れて行け。こっちだって暇なんだ」
「やだ」
即答。だって、せっかくエリティオさんと二人になれるのに。
「まぁまぁ。連れて行ってやろうじゃないか」
「……エリティオさんが言うなら、仕方ないなぁ。
 今回だけだよ」
「今回だけかよ」
「連れて行ってやるんだから、文句言わない!」
「……色々な意味で強くなったな」
「当然でしょっ!
 私だって成長してるんだから。というか成長期?」
うん、背も少し高くなった気がする。心だって、きっと成長したはずだ。
「そういう問題じゃないと思うが」
「そういう問題なの!」
「……頭は成長していないな」
「なんかいった?」
「別に何も」
なんか妙に頭に来る事を言われた気がしたんだけどな。



 外に出て、先程の人の多い通りへ。
 なんかやっぱり、人が多いところは嫌いかな、と思ったり。
「どうした、ミルちゃん」
「あ、いえ、大丈夫です」
 実際、頭が重かったり汗が凄かったり。でも、多分、大丈夫……あれ?
 なんかふらふらする。というか、地面が近付いてきて……。
「ミルちゃん?!」
エリティオさんの声。なんか前にもこんなことあったなーと思いながら、ポフっと。
「あ……」
 硬くて、でも柔らかい感触。
「大丈夫か?」
女の人の声。
 上を見上げると、黒い長髪が目に入った。綺麗な顔をしていて、涼しげだが冷たさを感じさせない、黒い瞳。片目は髪で隠れている。
 前を向くと、黒いシャツに包まれた豊かな胸。抱きしめられて、ここに顔を埋めていたらしいらしい。柔らかくて気持ち良い……って、
「わぁ、す、すいません!」
「……怪我はないか?」
肩を抑えられ、しっかりと立たされる。こうしてみると、私よりも十数cmほど、背が高いみたい。
「ん、あ、だいじょうぶっです」
舌噛んだ。今怪我したのは関係ないんだよね?
「何処か涼しいところで休むといい。
 そこの男性、この子の保護者か?」
「あ?俺か?」
エリティオさんの事を見てる。
「ん〜、まぁ、そういうことになるんだろうな」
「……頼むぞ」
「えっ、あ、あぁ……」
急に何を言われたのか分からないような顔をしている。私も良く分からなかったけど。
 女性はエリティオさんとビス、そして私を一瞥してそのまま何処かへ行ってしまった。
「……保護者として頼むって意味だよな?多分」
「そう、だと思いますが……」
「とりあえず、喫茶店でも入るか」



「ここがいいかな?」
小奇麗な喫茶店。オープンカフェにも人がいっぱいいる。そしてペットお断り。
「却下だ!」
ビスが叫ぶ。
「……煩い。一般人に聞こえる」
聞かれたら色々と困るだろうに。
「ならこっちでいいか?」
少しさっきの所よりは賑わっていないが、それでもなかなか良さそうだ。
 ペット不可だが。
「……馬鹿にしてるのか?」
「声を出すな」
「……」
「なら、ここで良い?」
ペット可の喫茶店。というかただ単に不可ではないだけだが。
「……いいだろう」
「なら、入ろっか」
 とりあえずオレンジジュースとガス入りのミネラル水を頼んだ。なんか足りない気がするけど。
 でも、うん。体調は少しマシになったかな?
 それにしてもさっきの人、綺麗だったなぁ……。
「どう、ミルちゃん、調子は?
 ジェラートでも食べる?」
エリティオさんが気を使ってくれる。
「じゃあ、ショコラのやつを」
エリティオさんが近くの店員を呼び寄せ注文する。5分程経って、妙に大きい物を店員が持って来た。
「……何、頼んだんですか?」
「いや、折角だから大きめのやつを頼んだ結果、こうなったわけなんだけど……」
つまり、予想以上に大きすぎたというわけか。
「1人どころか、2人でもどうだか……」
「……我は忘れられているのだろうか……」
なんか聞こえた気がした。気のせいかな?
「とりあえず、食べようか」
「はい!」
 ああ、エリティオさんと2人で一つの器のアイスを突っついてる。幸せだなぁ……。
「おいしい?」
「はい、とっても」
そりゃ当たり前だ。エリティオさんと一緒なのだから。
 なんだかんだで、お喋りしながら食べていると結構減っていた。
 そういえば、と思って、エリティオさんに聞いてみる。
「あの、天使ってやっぱり、いるんでしょうか?」
「え?あ、どうしたの、急に?」
今日の、教会での女の子の事を、話した。
「その子が何を考えていたのかは分からないけど。天使を必要としていたのかな?」
「そう、なのかな?
 ただ単に会えたらいいなって感じでしたけど」
「そっか。
 まぁ、結論から言えば、いるんだろうね。吸血鬼に魔導師、異端審問官だって現に存在するわけだし」
会ってみたい気もするけど、とエリティオさん。
「きっと綺麗な翼なんだろうな」
もしかして翼フェチ?そんなの、ちょっとやだなぁ。
「ミルちゃんの翼も綺麗だけどね」
翼フェチ、半分確定。
「異端審問官といえば、ビスはどうしたんでしょうか?」
「……ここにいるが……」
「ん?今頃シスターと戯れているんじゃない?」
「……あのエロ犬……」
「お〜い、無視か〜?」
 ジェラートも無くなり、そろそろ席を立とうとした。
「あれ?ビス?」
「……一応聞いておくが、なんだ?」
「あー……存在忘れてた。ごめん」
「わざとじゃないのが余計にたちが悪いな」
聞こえない。うん、何も聞こえない。



 夕食後、借りた部屋でのエリティオさんとビスとの会話。
 2時間位話していたような気がする。
 そして就寝。
 ベッドが、大きいけど一つしかなかったため、エリティオさんと一緒に寝ることになった。
(……心臓、音が聞こえそう……)
 一応背中を向けているけど、それでも一緒のベッドに入っているという事を意識してしまうと、ドキドキする。意識しないように、と思えば、逆に意識が強くなってしまうから、たちが悪い。
 隣のエリティオさんはもうとっくに眠りに就いている。床で寝ているビスも同様。
 なんか一人だけ勝手にドキドキして眠れないなんて、損しているような気分。
 そっと寝返りを打ってみる。って、ちょっと!
 かなり近い距離に、エリティオさんの顔。こっち向いてる……!
 キスでも、しちゃおうかな……。
(い、いや、駄目だ。それは、できない!)
もう一度寝返りを打って、背中を向ける。
 まぁ、いくらドキドキしていても、きっとそのうち眠れるだろう。と思う。多分。
 こんなときには別の事を……えーと。
 そうだ、今日会った女の子の事でも考えようかな。
 うん、とりあえず可愛かった。特にあの三つ編の揉み上げが。それに、なんか夢見がちというか、なんというか。活き活きした感じで。
 マリアも可愛かったけど、あの子も負けず劣らず可愛かった。どっちか選べといわれたら一日は悩める。
 欲しいな、あんな子を妹に。
 そういえば、何で天使なんか探しているんだろう?というか、本当に天使を探していたのかな?私の正体は悪魔だ、といっても喜びそうな雰囲気だったなぁ。
 そしてあの後に会った女性、冷たそうな外見だったけどとても暖かい雰囲気だった。
 実はあの人、天使だったりして。
 なんて事を考えているうちに、いつの間にか夜が明けていた。
「……寝てないよね、私」



 午前7時半、朝食の時間。今日の朝食はトーストにスクランブルエッグ、そして牛乳。
 スクランブルエッグにケチャップをかけようと、牛乳の入ったコップを手にし、傾ける。……あれ?
「寝不足か?」
「にゃああぁぁぁぁぁ?!」
スクランブルエッグの皿に牛乳が並々注がれる。
「うぅ〜……」
気を取り直して、トーストにジャムをつける。あ、服に落ちた。
「……」
「昨夜、何かしていたのか?」
「別にぃ……」
一瞬だけ、ちらっとエリティオさんのほうを見る。
「あ、もしかして俺、何かしてた?いびきが煩かったとか……」
「いえ、そういう事は、ないですけど……」
うん、そういうわけではない。でも、だけど……。
「ミルさん、今日はもう少し寝ていた方がいいかもしれませんね」
「は〜い……」
 席を立つ前に牛乳を飲む。口の端からボタボタと、床や服に零れた。
「……床を拭いて、着替えてからな」
「はい……」



 浮遊感。周りは一面の紫。とても濃く暗い紫だけど、辺りは明るい。
 私は何故か下着一枚すら纏わない姿。その私の姿を、昨日の女の子が追ってくる。いや、ついてくるというのは正しくないか。後ろに下がっても女の子は後ろにいる。振り向いても、前にはその姿が見えず、後ろに移動する。それだと女の子の姿が見えないはずなのに、何故かその時は見えていた。
 女の子は、私を見ているというより、私の翼を見ていた。
『おねえちゃん、やっぱり天使なの?
 それとも、黒い翼だから悪魔?』
『いや、私は……』
女の子が私に構わず続ける。
『あのね、おねえちゃんの翼、とても綺麗。だから、かわいそうだよ』
『かわいそう?何が?』
『だって、こんなに綺麗なのに、自慢できないんだもん。
 わたし、知ってるの。おねえちゃんはその翼のせいでいじめられたんでしょ?』
『っ……!』
何か言おうとした。でも、何故か口が開かない。
『異端審問官を引き連れ、魔導師と仲の良い吸血鬼……、私、待っていたんだ。
 近いうちに天使も来るみたい。楽しみだな』
『あっ、待っ……』
 女の子は、いつの間にか消えていた。



 変な夢を見た。
 ちょっとだけ、ヒヤッとする様な事を言われたせいか、結構寝汗を掻いている。
「……今、何時?」
時計を見る。長針が8、短針が2と3の間を指していた。
「寝過ぎ、かな」
でも、朝食が7時半だったから、寝たのが8時として、6時間半ちょっとしか寝てない事になる。
「ま、そんなもんか」
お昼ごはんどうしようかな、とか今日の夜はちゃんと寝れるのかな、とか考えながらコートを纏う。そして聖堂へ向かった。
「あ、ミルさん、おはようございます」
「おはようございま〜す。
 あれ?ビスとエリティオさんは?」
姿が見当たらない。
「ああ、2人なら何か用事があるらしく、一緒に出かけてましたよ」
「あ、そうですか……」
なんとなくあの二人が一緒に行動するっていうのは違和感があるけど、元々知り合いだったらしいし、そういうこともあるか。
 って、あれ?
「あの子、昨日の子?」
聖堂の椅子に、ちょこんと座っている女の子。可愛らしいなぁ。
 その子が、私の姿を見てこちらに駆け寄ってきた。とてとて、という効果音が聞こえてきそうな、可愛らしい走り方で。
「おねえちゃん、また会ったね」
「あ、うん」
ほっぺたすべすべして、やわらかそう。撫でたい、ああ、撫でたいなぁ……。
「おねえちゃん?」
「はっ!」
慌てて口の端を拭う。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫だけど大丈夫じゃないかも……」
「え?」
「いや、なんでもない、大丈夫だよ。あはは……」
困るなぁ、この性格。……性癖?
「それより、どうしたのかな?」
「うん、あのね、おねえちゃん、天使って見た事ある?」
ああ、またその話か。
「見た事は、無いかなぁ。でも、きっといると思うよ?」
昨日のエリティオさんとの話を思い出し、言う。
 でも、この子は予想外の事を言った。
「そんなこと知ってるよ」
「そんなこと、って?」
「天使がいるって事だよ。
 知ってるから、ここで待ってるんだよ?」
 先程見た夢の事を思い出した。まさか、この子は……いや、こんな小さい子の事だ。ただ単にそう信じているだけなのだろう。
「でね、多分、今日か明日か明後日か明々後日かその後か更にその後位に来るんだよ」
「それは、楽しみだね」
うん、子供だ。ちょっとほっとする。というか、それじゃ結局いつ来るか分からないだろうと突っ込みたくもなるが、相手は子供だし我慢。
「……おねえちゃん、信じてないでしょ?」
ジト目で見つめられる。いや、それはさすがに嬉しくないかな。可愛いけど。
「天使がいるって事は信じてるけど」
「今日か明日か明後日か明々後日かその後か更にその後位に来るって事は信じてないの?」
「いや、信じたいけど、ちょっとねぇ……」
あ、言っちゃった。
 女の子が少し涙目になる。
「あ、いや、ごめん、信じてるから!」
「本当に?」
「うん、本当に!」
 凄く泣き出しそうな雰囲気だったけど、なんとか回避。泣いたら泣いたで、見てみたいような気もするけど。
 とにかく、泣かないように頭を撫でてなだめてやった。見てみたいけど、参拝客がいないわけじゃないからそれは少し困る。
「良かった〜。
 えへっ、うれしいなっ」
まだ涙の残る瞳をこちらに向け、蔓延の笑みを浮かべる。見てるこっちも嬉しいなっ。
 そのとき、背中に何か視線を感じた。はっとして振り返ってみたが……昨日の女性がこっちを見ていた。
 私が気付いたことに気付くと、女性はこちらに向かってきた。
「……偶然だ。まさか君も教会にいたとはね」
「あ、あの、昨日はありがとうございますっ!」
「礼はいい。それより、もう平気か?」
少し心配そうな顔でこちらの顔を覗く。やっぱり、冷たそうな顔だけど冷たさを感じない。いい人には違いないだろう。
「お陰様で、一日寝ていたので大丈夫です」
「なら、安心だ」
ほっとした表情。可愛い子もいいけど、こういう綺麗な人の心配したりほっとしている表情も、見ていると凄く和める。
「……そっちの女の子は?」
私の隣にいて会話を聞いていた女の子。
「あ、えっと、昨日知り合った女の子なんですけど、名前は……」
あれ?そういえば名前聞いてなかったな。
「えっと、名前は?」
「ん?おねえちゃんには教えてなかったっけ?
 あのね、メイっていうの。天使が来るのをここで待っているの」
女の子は、明るい笑顔で女性に言った。そうか、メイって言うんだ。ってあれ?気のせいか、一瞬、妙に女性が動揺というか、吃驚したような。
「そういうおねえちゃんの名前は?」
「あ、私も言ってなかったか。私はミルです」
「……なら、こちらも名乗るのが礼儀というものか」
といいつつ、何故か躊躇い気味のような……。また気のせいかな?
「私は……ウェールズ。教会巡りが一つの趣味になっている。
 ……メイにミルか。憶えておくよ。縁があればまた会おう」
ウェールズと名乗った女性が、こちらに背を向けて去っていく。
「天使……」
ポツリとメイが呟く。
「どうしたの?」
「ん?あ、なんでもないよ。
 それより、おねえちゃんのこと、ミルって呼んでいい?」
呼び捨てか。それはそれでありかも。
「じゃあ、私もメイって呼ぶね」
「うん、いいよ」
 その後、エリティオさんとビスが帰ってくるまで、メイと二人で談笑していた。
 今思い返せば、ウェールズさんがわざわざ背を向けたのには、何か意味があってのことだったのだろう。
 それに気付いたのはもう少し先のことだった。



「しっかり眠れた?」
夕食中、エリティオさんが聞いてくる。
「ええ、はい。その……しっかり眠り過ぎたような気がしないことも無いかなと……」
いや、6時間半だからきっといいんだ、多分。うん、良い事にしておこう。
「あ、そういえば、昨日の人に会いましたよ」
「昨日の?ああ、あの……」
どうだった?と聞かれたが、どうだったのだろう。
「名前は一応聞きましたが、ウェールズさんという方だそうで……」
と、何気なく名前を口にするが、その名前に、エリティオさんとビスが反応した。
「……ウェールズ……まさかな……」
「いや、ウェールズという名前はいくらかいる。違う可能性もある。違うと考えても……」
どうしたんだろう?その名前に何か心当たりが……。
 どうやらシスターも知っている様子で、大まかに説明してくれた。
「教会関係者の間では有名な話なのですが、数年前、ウェールズという一家がいました。
 一家はとある教会を管理していたのですが、ある日のことでした。
 たまたま訪れた参拝客がたまたま見てしまったんです。
 その更に数年前から、その教会では工事を行っていました。そのため、一部がブルーシートで覆われて見ることのできないところがあったそうです。ですが、工事なんて全くの嘘だったんです。
 実は、ブルーシートの裏には本来あるはずの絵画やステンドグラスが、なくなっていました。なんと、教会を管理する立場であるウェールズ家が裏で売り払っていたのです。参拝客が見かけたというのが、その取引の様子です。
 ウェールズ家はそれ以来、住処を追われ、結局そのまま行方不明になってしまいました。
 ただ、ウェールズ家には一人、娘がいました。当時、今のミルさんと同じくらいの年でしたから、今は20代半ば位でしょうか。その娘は、裏取引のことなど一切知らず、表向きでは教会を管理していた両親達を尊敬していたのですが。
 もちろん、娘も家族同様、迫害されました。
 ここからは噂の話になるのですが、神がその子を哀れんだそうで、その子は救われるようにと、彼女だけに特別な力を与えたそうです。彼女はそれを拒みました。気付かなかった自分にも罪がある、と言って。
 そこで、神はこうしました。救われる身でありながら、罪を負うもの。堕天使と呼ばれる存在。実際彼女は今も生きていて、実際に堕天使です。色んな教会を回っているそうで、回りながら何かを追っているそうなんですが……それは彼女の秘密だそうです。……って、あの〜……」
「ぐぅ〜……はっ、いえ、寝てませんよ!!」
慌てて口の端を拭う。だが、欠伸が出てしまった。
「寝てたな」
「寝てたね」
うん、なんか取引とか難しそうな話が出た辺りから記憶が無いね。
「そんなに難しい話ではないし、そんなに長い話でも無かろう」
「そ、そう?あはは……」
やっぱり頭が悪いと駄目だなぁ。学校の成績は悪くは無かったんだけどな。良くも無かったけど。
「だが、もしそれが本人だとするならば、近々何かが起きるかもしれん」
「何かって?」
「それは……分からん。だが、本人で無い可能性も高いわけだし、本人だとしても何も起きない可能性もある」
その何か、というのはあまり良くない事なのだろうか。エリティオさんもシスターも、じっと黙っている。
「……でも、悪い人じゃ、ないんだよね?」
「それはそうだが。
 だが悪くないが故に起きる悪いこともある」
そうかもしれないけど。
「もし今日会ったその人が本人で、何か起きたとしても大丈夫だよ、多分」
「何故そう思う?」
「だって、悪いのはその人じゃないから。
 はっきりとした根拠は無いけど、多分、大丈夫。なんとかなるよ」
 そう、今までだってなんとかなっている。だからといって絶対とはいえない。それでも、大丈夫な気がする。
 って、まだ本人と決まったわけでもないし、違う可能性の方が高いだろう。
 でも、可能性があるなら少しでも身構えた方が、得することはあっても損することは無いよね。



 翌朝。
 昨晩は、エリティオさんが今日から泊まることになっていたから、寝室は違う部屋だった。そのため……というか、なんだろ?とにかく、昨晩はよく眠れた。
 着替えようとベッドから出ると、ビスがいないことに気付く。
 ……起きるの、早いなぁ。
 部屋から出ると、ちょうどエリティオさんも起きてきたところのようだ。
「あ、おはようございます」
「おはよう。今日はちゃんと眠れた?」
また随分恥ずかしい記憶を思い出させる質問だな……。
「あはは……、一応……」
「そう、良かった」
良かったって、眠れなかったのには一応エリティオさんにも責任がないわけじゃないんですからね。
 とはさすがに口にはしない。どちらかというと、さすがに出来ない。
 講堂に向かう間に、いろいろとおしゃべりをする。
「あ、そうだ。
 今日もメドゥ……ビスを借りたいんだけど、いいかな?」
「別にメドゥスでも分かりますよ。
 貸すのはいいですけど……私も一緒について行けば問題ないんじゃないですか?」
だが、エリティオさんはすまなそうに言う。
「ごめん、ちょっと事情があって……」
「なら、仕方ないですね……。
 明日、一緒に出かけると約束してくれたらいいですよ」
エリティオさん、苦笑。
「はは、分かったよ。観光でもショッピングでも付き合うよ」
「ありがとうございます!」
って、本来お礼を言うべきなのは私じゃないような。いや、まぁいいや。
 仕方ない、今日もあの子……メイと一緒にお喋りしてようかな。



 ……と思って、ビスとエリティオさんが出かけた後、ずっと待っているんだけど……。
「まぁ、あの子も毎日来ているわけではありませんし……」
とシスターが申し訳なさそうに言う。
 ……やばい、暇だ。
 私は、昔から結構暇とかは嫌いだったりする。いつだったか、まだ吸血鬼化していなかった頃、お父さんにその事を話した事があった。贅沢だな、羨ましいよと言われたが、当時の私には何が羨ましいのか全く分からなかった。
 今でなら、その時のお父さんの気持ちは分からないでもないが、私が嫌いなのは、暇の中の暇。お父さんが羨ましかったのは、忙しい中の暇。若干違う。
 あーあ、携帯ゲーム機とか本とか持ってりゃ、少しは暇潰しになるんだけどなー。
 ……暇潰しに、ちょっと出かけるか。
 陽射対策の防止と、水の入ったペットボトル一本を持って外に出ることにした。
「……でも、出たのはいいけど、何処行こうか……」
 とりあえず先日買い物をしたあたりをふらつく。何か面白いものないかな、と思っていると、また、感じた。初日に感じた、あの視線を。
 はっとして振り向くが、その気配は感じられなくなる。なんだか気持ち悪い。……同じ視線を、今度は前から感じた。
 振り向いてはいけない気がする。だが、前を向かなければ……。
 前を向いた、その瞬間。何者かに腕を掴まれ、首に一瞬、痛みを感じ、なんだか、辺りが、暗くなって……。

《吸血鬼ミル5へ続く》