吸血鬼ミル2〜命の使い方〜


西欧のとある街に。
一人の少女と、一匹の犬が、いた。
少女の名はミル。17歳。
白く長いコートを羽織って、銀色の髪と灰色の目を持つ。
まだあどけないその顔、身体には少し色気が足りないが、一応は美少女といえるだろう。本人にはその自覚が無いようだが。
だが、その顔に浮かぶ表情。それはとても暗く、全身から放つオーラにも、近寄りがたいものがある。
そして決定的なのが、黒い翼。とても、美しい翼。
今はコートに隠れて見えない、いや、コートを脱いでも今着ているシャツの下に隠れて見えないだろうが。
他にも、口を大きく開くと見える、八重歯という言葉で片付けるには少々大き過ぎる、鋭い歯。
ミルはヴァンパイア――《吸血鬼》だった。
ただ、人の血を吸ったことはない。正当防衛という名の言い逃れで人を殺した事は、ある。
でも、それ以外では、人を襲ったことはない。そんなこと、恐ろしくてできない。
隣の犬は、ビス。オスのゴールデンレトリバー。人間で言うと30歳位か。
彼は、ただの犬ではない。人の言葉を完璧に理解できる犬は多少はいるだろうが、彼は人語を話すことも出来る。
そして何より、彼は魔女や吸血鬼を断罪する存在――《異端審問官》。
吸血鬼を狩る存在が吸血鬼と一緒にいるのには、深いわけがある。が、ここでは触れないでおこう。
吸血鬼と異端審問官は、今日も一緒に旅をする。
私を、私たちを受け入れてくれる人々がいる、街を探して。



外は少し薄暗い。
私は今、旅先で見つけた宿にいる。
宿代は、今日寄った教会の、親切なシスターに払ってもらった。
「ふう、つかれたぁ……」
ベットに倒れこむ。
そりゃ、疲れるのも当然だ。一日のほぼ半分を歩いて過ごしているのだから。
「ふぅ……」
何度目の溜息だろうか。とにかく、本当に疲れた。
あれ、何か忘れているような……。
「おい、ミル」
「あ、忘れてた」
部屋の戸を開ける。すると、大きな犬が部屋に入ってきた。
ビス。それが彼の名前。ついでに言うと、何故か喋る。しかも異端審問官であるというおまけ付。
私は今着替えをしていたところで、彼は一応オスなので部屋から出てもらっていた。
「全く、我を忘れるとは何たることか」
「ごめん、ちょっとぼうっとしてた」
それは、歩きつかれたから。それも勿論あるが。
「マリアか」
「うん……」
「あれからもう2週間ほどたったな」
「そうだね……」
あまり引き摺ってはいけない、頭の中ではわかっている。
「そのうち、落ち着くだろう。それまでは良いが、……いや、あまりよくは無いが」
「どっち」
「よくない。まぁ、少しは心の整理をする時間は必要かもしれんが」
ビスの言うことは正しい。
私のやっていることは間違っている。
そんなこと、わかっている。
たった半日の付き合いだった。でも。
忘れることのできるような子じゃない。
「罪……か。
罪って何なんだろうね」
外に出る。風が、濡れた髪を揺らす。歩きつかれてるとはいえ、夜の散歩は気持ちがいい。
「それを異端審問官に問うか。一日二日じゃ語りつくせんぞ?」
「そう。そんなに、罪って、多いの?」
「どうだろうな。生まれてきたことが罪であると言う者もいれば、死ぬことが罪だと言う者もいる。
 或いは、窃盗、強姦、殺傷も人間以外が相手、或いはその逆は罪にはならないと言う者もいる。
 何が罪で、何がそうじゃないのか、なんて、正しい答えは何処にもない」
そのあと延々と罪について聞かされたが、半分も理解できなかった。
「それは仕方ない。お主はまだまだ若いからな。我ほどに罪を知らんのは当然だ」
確かにそうだ。でも、だからといって罪というものを全く理解してないわけではないつもりだ。
「そんなに気にするでない。マリアが殺されたのも、お主のせいではあるまい」
「それは……違う」
「いや、そうだ。
 ……年頃の少女はどうしてこう、罪を着たがるのだ……」
着たがる……、そうなのかもしれない。でも、あの罪は私が着なければいけないのだ。
暫しの沈黙。
そのまましばらく歩く。風が、騒がしい。
「……ミル」
ビスが小さい声で話しかけてきた。
「5人、いや、6人か。気をつけろ」
何の話か分からなかった。が、後ろに気配を感じる。
「幸い我が喋っていることはばれていない。いいか、独り言以外呟くなよ」
「……うん。<例の>人達だね」
こくり、と頷く。



それから、更に5分程歩く。周りに人がいない道に入った。
「……どう?」
「まだいる。というか、独り言以外呟くなと……」
怒られた。
それから一分程。
後ろの集団が近付いてきた。全員男だ。
声をかけられる。
「やぁ、お嬢ちゃん」
下卑た笑みを浮かばせている。
「こんな時間に何処行くの?」
「ちょっと教会まで……」
「へぇ、案内してあげようか?」
「……大丈夫です。道、分かりますから」
というか彼らに頼んだら何処に連れて行かれるか分かったものじゃない。
「そういわずにさぁ」
と、肩に手をかけてきた。その手を条件反射で振り払う。
「痛っ!
 ……おい、嬢ちゃん」
彼は手にナイフを持っていた。他の男たちもだ。
怒らせちゃったかな。まぁ、いいや。
「あのな、人が親切にしてやっているのに、なんだ、その態度は?」
「見たまんまですが」
「舐めてんのか?
 なぁ?こんなことしてどうなるか分かってるのか?」
「そのナイフで私を殺すつもりですか?」
あえて反抗的な態度をとる。
「まぁ、それもいいが、その前に……男に囲まれた女がされることは一つだろう?」
「やっぱり」
「なんだ、分かってるなら話が早い」
ニヤニヤと近付いてくる。
その手が再び肩に触れるか触れないかの所で。
一気に近付いて、男の顎を蹴り上げた。
「ビス!逃げるよ!!」
走り出す。ビスも私に従う。当然ながら蹴られた男は激怒し何かを叫び、他の男たちは追いかけてくる。



行き止まりに辿り着く。
「はぁ、はぁ……」
さすがに息が切れる。
さっきと違う男が言う。
「なぁ、お嬢ちゃん。随分反抗的な態度をとるね。
 俺、そういう女の子、嫌いじゃないんだ。
 しかも、色白で、綺麗な髪で。胸は小さいが、この際それはいい」
ちょっとむっとする。余計なお世話だっ。
「そこそこ可愛いし、苦痛に歪んだ顔はさぞかし素晴らしいだろうな」
私、そんなに可愛いって言われるほど可愛いかな。言葉のあやか。
「そこの犬、雄だろ?獣姦とかさせてみたら楽しいだろうな。そっちの犬も喜ぶんじゃないか?」
それはさすがに嫌だ。というか一瞬、ビスが寝返りたそうな目をしたような。一瞬だから、まぁ許そう。
それにしても、あきれた。ここまで本能剥き出しとは。まさか、こんな人達が、ねぇ。
男達は囲んでいた輪を小さくしていく。そろそろか。
「……どうする気ですか」
「さっき言っただろ?その身体で遊んでやるって」
「……」
「おや?さっきまでの威勢はどうしたんだい?」
「……やめて、下さい……」
目に涙を溜める。
「やっぱり、無理して強がっていたのかい?」
それは見当違い。そう見えるのならいいんだけど。
「お、お金なら、ありますから、許して……」
「額によっては考えるけどな。
 まぁ、余程の大金でなければ、こんな上玉逃してたまるかっての」
さらに輪を縮める。
「もう、逃げられないぜ?」
確かに。
「そろそろ観念しな。親切を暴力で返したのはそっちなんだから」
「で、でも!私、まだ、なのに……」
「まだって?経験が?」
こくりと頷く。
「ははは、こりゃ、ますます逃がせないな!」
「ひっ!」
腕を掴まれた。
仕方ない。
「あ、あの、もう、諦めます……」
「ほう、物分りが良いじゃないか」
「で、でも、その代わり、服ぐらいは、自分で、脱がせて、下さい……」
涙目で聞いてみる。男達は最初ポカンとして、そして、
「うわっ、それいいね!」
「自分で脱ぐって、そういうのもありか」
……なんか、受けが良いけど、気にしない。……気になるけど、気にしないっ!
「じゃ、じゃぁ……」
男たちの方を向き、まずはコートを脱ぐ。
コートの下は半そでのシャツとハーフパンツだ。
「スゲー、本当に白いぜ」
「健康的だな」
「じゃあ次、ズボン脱いでよ」
「は、はい……」
ハーフパンツも脱ぎ捨てる。白くて薄いパンツで、わずかに生えてる毛が微妙に透けてる。
さすがに顔が赤くなった。
「なんだ、少ししか生えて無いじゃん?」
「いいじゃねぇか、可愛くて!」
男たちが囃し立てる。
まぁ、この騒ぎもいつまで続くか。
後ろのビスには見えてるだろうが……って。
(ビス!ちょっと!!)
ビスの目は明らかに私のお尻に向けられている。くそ、憶えてろよ!
そして、シャツも脱ぐ。ゆっくりと。
乳房が曝け出され、男たちの歓声が上がる(この時は運悪く、ブラジャーを着けていなかった)。
ちょっと躊躇い、ギリギリ乳首が晒されないところでシャツを脱ぐ手を止める。
恥ずかしいからだとでも思っているのか(実際恥ずかしいけど)、ニヤニヤしながら胸を見つめる。いやらしい奴等め。
その姿を見て、一瞬だけ、私もニヤッとしてしまった。
「どうした?はやく、脱げよ!」
「は、はい……」
なら、脱いでやろうか。どうなっても知らないけど。
ビスに目配りをする。さすがに状況が分かっているのか、もうお尻は見られていなかった。
そして、シャツを放り捨てた。
背中の、黒い翼が、バサッと音を立てて広がる。
「……なっ?!」
男たちの驚愕の顔。その隙を突いてビスが突撃、私も蹴りと肘鉄を繰り出す。
あっという間に5人を気絶させた。
最初に私に声をかけてきた男だけ、まだ起きている。
「ごめんなさい、ごめんなさい!!」
うっわ、そこまでやられると落ち込むんですけど。まぁいいや。
「私の裸は高いよ?それなりに置いていってくれたら、見逃してあげるけど?」
「だ、だれが!」
急に態度が変わったな……。
「いいの?わたしは吸血鬼なんだよ?
 お金と高価なものをくれるだけで許してあげるって言ってるのに、いいのかな?」
口を大きく開け、左上の歯――大きく尖った牙を見せる。
「ひぃっ!!」
「まったく、貴方達みたいな人に初めてを奪われてたまるかっての。
 胸すら殆ど男の人に見せたこと無いのに。ねぇ、ビス」
「いや、お前の昔のことは知らないが」
「……えっ?」
男が呆然とする。そりゃ、犬が喋ったら驚くだろ。それが普通の反応だ。
「まぁ、福眼だな」
「なっ?!ちょっ!!」
脱ぎ捨てた服を回収し、急いで着る。
「さっき、私のお尻も見ていたでしょ!このエロ犬!!」
「減るものじゃないだろう?それに、手伝った報酬だと思えば……」
「開き直るな!!
 ……全く、今はそういう時じゃないって言うのに」
男の方を向く。
「貴方達だよね?最近、ここらで強盗やら強姦やらを働いている集団ってのは」
「な、なんだ、それは」
「惚けるの?それと、早くお金」
とことん容赦せずにいってみる。
「教会とか警察とか、後は軍隊にも連絡が入ってるんだって。
 見逃して欲しい?」
「だから、何のことか……」
「ま、それはいいんだ。
 とにかく、噛み付かれたくなかったら……」
「わ、わかりました!」
ポケットから財布やら高価そうなナイフやらを取り出す。それらを回収し、ハーフパンツのポケットへ。
「それから、さっきの話。実際どうなの?
 なんなら私が警察とかに行って調べてもらっても良いんだよ?」
「……なら、いいさ。お前が吸血鬼だって事、ばらして……」
「警察がそんなもの信じるわけなかろう」
痛い突っ込みだ、ビス。
「まぁ、そういうわけであなたはもう逃げられないんだよ?」
「……なぁ、見逃してくれよ、金も渡しただろ?」
やっと認めたか。
「いいけど……もう遅いみたいだよ?」
遠くから数人の声が聞こえた。あれは、警察かな?
コートを羽織る。
「ごめんね。さすがに駆けつけてきた警察から逃してあげられる程お人好しじゃないから」
「くそっ、吸血鬼め!」
「うるさいな」
男の頭を軽く蹴る。
「ミル……警察の前でそれは無かろう」
「だってぇ」
そうこうしているうちに警察が辿り着いた。
「何か騒ぎがあったと聞いたんだが……」
倒れている男たちと私をみて、少し唖然としていた。
そりゃそうだろう。
「この人達が私を強姦しようとして、それで返り討ちにしちゃっただけです。
 格闘技にはそれなりに心得がありますしね」
これは本当だ。それなりに興味があって独学で学んでいた。私の身体が丈夫じゃないことを知っていた人は皆呆れていたが。
「お嬢ちゃんはなにか被害は……」
「ちょっと胸とか見られちゃった……。ま、それだけです」
「それだけって、年頃の女の子にとっては充分な被害のような気がするけど……」
そうかもしれないけど。
「で、最近の事件なんだけど、この人達の仕業らしいですよ」
「それは本当か?!」
「そこの起きている人に聞いてみれば?本人に問い詰めたらそうだって白状しましたが」
おや?遠くから警察とは違う人がこちらに向かってくる。野次馬か、それとも。
「どっちにしろ、お前たちには署まで来てもらう。お嬢ちゃんも……」
「いえ、その必要はありません」
あ、野次馬じゃなかったみたい。
「シスター・フィオ!」
フィオさんは初老のシスターで、今日寄った教会で話をしたのもこの人だ。
これでやっと安心だ。
「この子は今日から教会に修行に来たんです。この子の身はこちらで預からせていただきます」
「そうですか……、でも、被害者だから、一応身元の確認とか話を……」
「今日はもう遅いですし。それから、この子の身元はこちらが保証します。
 それに強姦の被害者である少女を問い詰めるのはいかがなものかと」
そーだそーだ。ま、実際そんなことよりビスに見られたのが一番ショックだったり。
この街では教会の勢力が強いらしく(というと聞こえが悪いが決して悪い意味ではない)その発言の一つ一つに相当な説得力を持つ。
だから警察の方もここは引き下がった。
「では、何かありましたら警察の方へお願いします。こちらが連絡させていただくこともあるとは思いますが」
「ええ、分かりました」
警官が男たちを連れて去っていく。
「ふう……」
なんとか無事に済んだ。
「ありがとうございます」
フィオさんが私に言う。
「いえ、私の気紛れですから」



教会に行く。もう既に日は変わっていた。
「しかし、ミルさん達を危険な目に合わせて、すいません」
「あの、いえ、私もそういう人たちが許せなかっただけですから。
 それに、さっきも言いましたがちょっとした気紛れでもありますし」
なんだか事を終えて和やかな空気が流れる。外は暗いのに眠くない。さっきまでの騒ぎのせいか。
「でも、犯人グループが見つかってよかったです」
「囮になる、と発言したときはどうしたものかと驚いたがな」
「でも、そのお陰でビスもいい思いしたんでしょう?」
少し拗ねて言う。ここが教会じゃなければ蹴っ飛ばしてやるのに。
「不可抗力だ」
「どこが」
全く、呆れた犬だ。
少し話をして、宿に戻るために教会を出る。
「でも、思っていたよりあっけなかったかも……」
「だな。……同じ事を考えているな」
「……おそらく、ね」
だって、そう考えるのが妥当でしょ?



寝たのが遅かったから、目が覚めたら既に日は高く昇っていた。
「どうする?」
「そうだな、取り敢えず着替えて髪を整えるべきだな」
「……そうだね」
カバンから着替えを取り出す。その際に目に留まる服。
背中が裂けていて、所々血が付着している。私と、あの子の。
「マリア……」
「……」
「……大丈夫だよ。マリアのためにも、生きないと……」



再び日が沈む。それと同じ位へ外に出た。
「昨日のところ?」
「そうだな」
歩いて、昨日の男たちと出会ったところへ。
「……ちょっと予想外、かな」
昨日とは違う男が三人(これには驚かなかったけど)、"待ち伏せ"していた。
「まさか待ち伏せされるなんて。余程信用されてたんだね、"私達"。」
「我等と同じ匂いがするな」
「え?」
「気を付けろ。恐らくお主を吸血鬼と知って待ち伏せているのだろう」
「なんで?」
「さあな。そこまではさすがに本人達に聞くしかなかろう」
少し嫌だけど、どうせ誰かがやらなきゃいけないことだ。昨日のついでに私がやってしまおう。
「……来たか」
リーダー格らしい男が話しかけてきた。
「うん。お望み通りね」
「……ふん。あまり望んではいなかったがな」
「そうなの?ま、私には関係ないけど。
 念のため聞くけど、昨日の人達に指示かなんかしてた人達?」
「ああ。分かってて来たんだろ」
「分かってたよ。だから念のためって言ったじゃん。
 それに待ち伏せされているとは思ってなかったよ」
「そうか」
まるで世間話でもするかの様なノリで、会話は淡々と進み、
「部下が、お世話になったみたいで。お礼がいるな」
「いいよ、そんな気遣い。寧ろ、あなた達もお世話してあげるよ?」
「ふふ、面白い娘だ。吸血鬼は皆こうなのか?」
「さて。他の吸血鬼を殆ど知らない私に聞かれても」
やはり世間話のように、唐突に会話が終わる。
そして、相手が動き出した。
獲物は……マシンガン。
「ちょっと、少女1人に対してそれは、卑怯じゃないの……!」
「さて、どうだか。遠慮知らずなんでね」
いくら私が早く動けるからって、限度というものがある。
下手な鉄砲も数撃てば当たるのだから、彼みたいな戦闘のプロ(と勝手に思ってみる)が撃てば、全弾回避はほぼ不可能だ。
急いで安全そうな建物の陰に隠れようとするが、何しろ周りに何も無い道なので木一本見つけるのがやっとだ。
「とんでもないの、相手にしちゃったな〜」
「しかも相手は三人だ」
「私が世話されちゃってる」
本当は、こんな会話している余裕も無いんだけど。
「どうしようかな?」
「とりあえず、逃げて勝機を窺うか」
「或いはビスが盾になって……」
「それは駄目だ!」
ちぇっ、良い案だと思ったのにな。



15分近く逃げ回っている。この間無傷なのは奇跡かな、と思う。
「さて、ほんとにどうしよう」
ビスに話しかける。が。
「……ビス?」
返事はない。というか。
「……逃げたね……」
姿がない。
あんにゃろ、死んだら思いっきり呪ってやるんだから!
「って、うわっ!」
弾が耳元を掠める。
この危機的状況、どうやって乗り切ろうか。
(悩む前に、即行動!)
うん、それが最も私らしいや。
とはいっても……。
(その行動の内容が思いつかないから、困ってるんだよね)
こちらの武器は、ナイフ数本。それと、私のみりょk……ごめん、嘘、今の忘れて!
でも、この状況じゃ、逃げることくらいしか思いつかない。
ならば。
逃げて逃げて、逃げまくってやる!



唐突に攻撃が止んだ。
「あれ……罠?それとも……」
隠れた木の陰から彼等を見る。銃に弾を込めている所だ。
チャンス!
飛び出して、ポケットから取り出したナイフを手に、駆け出した。
「これで、」
数メートルまで近付き、ナイフを振り上げ、さらに接近しつつ振り下ろす。
「どう、だ……?!」
急に、力が抜ける。
「なかなかいい動きだったぞ」
先程と同じくリーダーらしい男。接近し、左手で顎を掴まれ、顔を上げさせられる。
「だがな……」
右手には、先程まではなかった銃が握られている。
「獲物は一つじゃない。油断したな」
脇腹から、血がどくどくと溢れる。
「……確かに、油断してた……」
でも。
「貴方も、油断しすぎだよ……」
「何……?!」
そう、この位、ある程度は予想できていた。だから、敢えて突っ込んでみた。
そして撃たれたが、それでもナイフは手から離さなかった。だから、うまくいった。
彼の腹にナイフを2〜3回、抜き刺しする。それだけで、彼は気絶した。
まぁ、この程度で死ぬ程、柔ではないだろう。
「この程度の傷なら、この前の傷に比べたら幾分もマシだよ……って、聞こえてないか」
返り血が、腕を染めていた。
「くっ、リーダー!!」
「やっぱりこの人がリーダーだったんだ」
確かにそんな雰囲気だったけど。
「さて、どうしようかな」
相手は後二人。恐らくリーダー程は強くもないだろうけど、きっと油断はしてくれないだろうな。
「やっぱり逃げるしかないか」
うん、脇腹も痛むしね。



リーダーがやられたせいか、二人のうち一方は容赦してくれなくなってしまった。もう片方が意気消沈してくれて助かってるけど。
でも、三人が一人に減ったようなものだから多分良かったのかな?
それでも、まだ不利なのは変わらないような。
「せめて、ビスがいてくれれば何か思い付いてくれたかもしれないのに」
他力本願です。
「小娘!ブツブツ言ってないで出てこいや!」
マシンガンをぶっ放しながら何か叫んでいる。
「出てきて欲しかったら、その銃を捨ててよ!」
「それは無理だね」
「ケチ!ひとでなし!」
「ひとでなしはどっちだ吸血鬼!!」
あ、そうだった。
ひどでなしと言えば、ビスはホントにどこ言ったんだろ?やっぱり1人で逃げたのかな?
「……いや、もしかして……ありえるな」
「何をブツブツ言ってるひとでなし!」
「なんでもない。気にしないで」
「気にするなといわれたら気になるだろ!」
「ごめん。でも気にしないで」
相手にはバレてないみたいだ。まぁ、本当に逃げたのなら成す術無しだけど。
とにかく私は逃げるのに集中しなければ。



やる気の無くなった方は放っておいて、もう1人の方を引き付けつつ逃げる。
これで、やる気の無いほうが立ち直ってもすぐに対応できるはずだ。
「ま、なんとかなるでしょ」
そういえば昔、友達に「ミルは凄く楽天家だね」と言われて否定したことがあったけど、確かに楽天家かもしれない。
こんな状況でもあまり焦っていない。それはそれでいいのかもしれないけど。
特に、今の相手を見ていればよく分かる。
興奮しすぎて、狙いがきちんと定まっていない。それはそれで怖いんだけど。
「……ん〜」
それでも木の陰にさえ隠れていれば危なくない。
「……ま、なるようにしかならないか」
ポケットからナイフを二本取り出す。
「もったいないな〜。ちゃんと回収できるかな〜?」
一本を構えて、木の陰から様子を窺う。
「……今、かな」
相手の腕目掛けてナイフを投擲する。
「なっ、く、糞ガキ!」
さすがに交わされたか。でも、いいや。相手はさらに興奮して弾を乱射するし、きっとすぐに弾切れになるだろう。
そのときに、一気に行けば……。
「待たせたな」
「って、うわあ!!!」
いきなり背後から声を掛けられた。
「び、ビスかぁ〜……」
「驚きすぎだ。
 三分持たせろ。多分その位で大丈夫だ」
驚きすぎって、だって突然現れるんだもん。
「よかった、逃げたんじゃなくて……。
 って、三分?多分倒せちゃうよ?」
「お主をおいて逃げても意味がなかろう。
 まぁ、倒せるなら倒した方がいいかもな」
相変わらず無意味に乱射している相手を見る。
「くそ!出てこい吸血鬼!!」
「うるさいなぁ……」
仕方ない。
「近所迷惑だから出てきてあげるよ」
「おい、本気か?」
「大丈夫だよ」
根拠はない。でも、大丈夫だ。
「で、私は何をすればいいのかな?」
「黙ってそこで死ね」
「やだ。痛いの嫌いだもん」
脇腹はまだ痛むけど。
「貴方こそ黙ったら?凄く煩いんだけど」
「俺が黙らなくてはいけない理由、どこにある?!」
「私が不快になるから。それが理由」
「馬鹿にしてるのか?」
銃口をこちらに向ける。今だ。
「馬鹿にしてるよ、物凄く!」
急接近しつつ、横にそれて銃口から逃れる。
相手が一瞬怯む。この一瞬で充分だ。ナイフを構える。
銃口をこちらに再び向ける隙を与えず、そのままナイフでの一撃を加える。
「く、そガキが……!!」
「ガキっていうな」
ナイフは彼の腕に刺さった。そのせいで力が抜けたのか、銃を落としそうになる。その銃を、奪い取る。
「さて、チェックメイト。大人しくしてね」
奪った銃で首を横から殴る。
「あっ……!!」
たったこれだけで、傷付きもせず気絶してしまうのだから、人間って不思議だ。
あ、でも、今回は傷付けてたか。
「ビス、終わったよ」
「……やるな」
「へへ、だから格闘技には少し心得があるって言ったじゃない」
「そういう問題か?」
「そういう問題だよ」
うん、そういうことにしておく。
「さてと」
残ったもう一人の様子を見に行く。
「……あれ?」
「なんだ、逃げたか?」
姿が見えない。
リーダーらしき男はそこで寝てるというのに。
「罠?」
「いや、逃げたのだろうな」
その証拠……とは言えないが、気配を全く感じない。
「まぁ、一人くらい逃げても、リーダーじゃないんだし大丈夫でしょ」
「だろうな」
こうしているうちに三分が経ったのだろうか。
シスターと警察がやってきた。
「……あれ?また君か」
「あ、覚えてました?
 実は、この人達も覚えていたみたいで。昨日の人達の復讐ってことで襲われたんですけど」
「……今時の若い女の子って強いんだな……」
倒れている二人と、私の血塗れの脇腹を見て言う。
「あ、一人逃がしちゃったみたいなんですけど。リーダーじゃない人ですが」
「そうか……いや、協力ご苦労というか、なんだ、その、ええと。
 君も、こんな遅くに出歩いちゃ駄目だよ。君みたいに若い子だと、治安が良くても悪くても襲われるんだから」
「あ、はい、気をつけます」
たしかにそうだよね。
「で、その、一応事情聴取を行いたいのですが……」
何故かシスターのほうに許可を貰おうとしている。昨日の一件もあるからかな。
「でも、それは少しあの子が可愛そうですし、身元は教会が保証します」
「いや、でも、しかし……。
 あの、では、この場で少し、というのはどうでしょう?」
かなりの妥協策だ。でも、警察としては一応話は聴いておきたいんだろうな。
「そうですね……。
 私が一緒でもいいのなら、あの子が許可すればいいでしょう」
「あ、私は構いませんよ」
「そうですか。
 協力、有難うございます」



結局、事情聴取(もどき?)は10分もかからずに終わった。
逃げていった男の特徴や出会ったときの様子などを聞かれたが、多少の真実と若干の嘘と、多くの「分からない」「覚えてない」を交えて質問に答えた。
ちょっと矛盾しそうなところがあればシスターが誤魔化してくれたし、警察側もあまり深くは追求してこなかった。
次の日、新聞には昨日やりあった彼らのことが載っていた。
捕まえた当時の状況や、彼らの悪事の数々が乗っていたが、其処から私に繋がる情報は、「捜査に貢献してくれた17歳の少女」程度しかなかった。
その少女こと私、ミルは今、この街を出る準備を進めていた。
「本当に、ミルさんのお陰でいろいろと助かりました。
 この街の治安も、今までより良いものとなるでしょう」
「あ、いえ、私も貢献出来てよかったです」
うん、良かった。とりあえずお金とかも手に入れたし。
「……罰が当たっても知らんぞ」
「戦利品だもの。これくらい許して欲しいなあ」
「……まぁ、状況が状況だったから良しとするか……」
やや不満そうなビス。良いんだって、こういうのは。
「さて、そろそろ行きますか。
 フィオさん、色々とお世話になりました」
「いえ、こちらこそ。
 また何かの縁があれば、お会いしましょう。
 では、貴方達二人に神のご加護を」



そして、今日も、終着点の分からない旅をする。
私の、私たちの居場所を探す旅を……。